2010年08月14日
初心に帰る
昨日はまたもやうまくログインできませんでした
なんでたまに調子が悪いんでしょうか
私のアカウントのせいなのかそれともたくさんの人が同時にtennis365を使おうとして回線が込み合ったせいなのかよくわかりません
いつでも素直にログインできるといいですね
少し前に、私のテニスは一攫千金型で多少なりとも自暴自棄な部分があり、またそういう部分にもテニスの楽しさをみつけるということを書きました
今日はそのことについて自分なりに思ったことを書いてみます
私のテニス歴は7~8年とそれほど短くはないことは以前にも何度か書きました
私は自分で思うに、人よりずば抜けたテニスの才能があるとか作戦を立てる脳があるわけではありません
ですが、しばらくテニスを続けてきたことによってテニスという競技への「慣れ」がありますし経験からくる「勘」もあります
なので相手のボールの動きを予測してそれを上回る動きをしようとします
言い換えると、常に「狙った球」を打とうとするということです
この「狙った球」と言うのが実はなかなか曲者でして、そのほとんどは応用編の技術を要します
テニスでは来たボールを相手のコートに返している限りポイントを取られることはありません
いわゆるシコラー的な打ち方ですが、相手の能力をあえて上回ることをせずに淡々と基本に忠実な打ち方をしていればゲームは続きます
一方、「狙った球」は変則的な球になるために相手コートに収まらない確率も高いです
そのような、相手にポイントを挙げてしまうようなボールをなぜ打つのかと言いますと
それは応用的なボールほど打っていて、そしてそれでポイントを取っていて楽しいからです
ここに私の一攫千金的なプレーの理由がある気がします
ラリー中にドロップを落としたり、ダブルスのリターンでストレートを抜くことで得られる満足感は単調なストロークで競り勝つよりもよほどうれしいです
そして、まずいことにそういったショットを失敗したときには「応用的なショットなのだから仕方がない」と言い訳できてしまうところが「狙った球」を打つことに拍車をかけます
こういった負の連鎖は私のような別段才能があるわけではないけどある程度のプレイ経験がある人間のプライドが生み出すものでしょう
上級なプレーを周りの人間と自分自身に見せつけ、失敗したときにはプライドを守るために言い訳することによってもたらされるものが勝利であることは少ないと少しずつ思い始めています
きっと大人のプレーをするというのは、なにも余計なものを持っていなかった子供の時のプレーをいつまでも続けられることなのでしょう
応用的なテニスをするプロ選手の目にもたまに少年少女の目を見る気がします
なんでたまに調子が悪いんでしょうか
私のアカウントのせいなのかそれともたくさんの人が同時にtennis365を使おうとして回線が込み合ったせいなのかよくわかりません
いつでも素直にログインできるといいですね
少し前に、私のテニスは一攫千金型で多少なりとも自暴自棄な部分があり、またそういう部分にもテニスの楽しさをみつけるということを書きました
今日はそのことについて自分なりに思ったことを書いてみます
私のテニス歴は7~8年とそれほど短くはないことは以前にも何度か書きました
私は自分で思うに、人よりずば抜けたテニスの才能があるとか作戦を立てる脳があるわけではありません
ですが、しばらくテニスを続けてきたことによってテニスという競技への「慣れ」がありますし経験からくる「勘」もあります
なので相手のボールの動きを予測してそれを上回る動きをしようとします
言い換えると、常に「狙った球」を打とうとするということです
この「狙った球」と言うのが実はなかなか曲者でして、そのほとんどは応用編の技術を要します
テニスでは来たボールを相手のコートに返している限りポイントを取られることはありません
いわゆるシコラー的な打ち方ですが、相手の能力をあえて上回ることをせずに淡々と基本に忠実な打ち方をしていればゲームは続きます
一方、「狙った球」は変則的な球になるために相手コートに収まらない確率も高いです
そのような、相手にポイントを挙げてしまうようなボールをなぜ打つのかと言いますと
それは応用的なボールほど打っていて、そしてそれでポイントを取っていて楽しいからです
ここに私の一攫千金的なプレーの理由がある気がします
ラリー中にドロップを落としたり、ダブルスのリターンでストレートを抜くことで得られる満足感は単調なストロークで競り勝つよりもよほどうれしいです
そして、まずいことにそういったショットを失敗したときには「応用的なショットなのだから仕方がない」と言い訳できてしまうところが「狙った球」を打つことに拍車をかけます
こういった負の連鎖は私のような別段才能があるわけではないけどある程度のプレイ経験がある人間のプライドが生み出すものでしょう
上級なプレーを周りの人間と自分自身に見せつけ、失敗したときにはプライドを守るために言い訳することによってもたらされるものが勝利であることは少ないと少しずつ思い始めています
きっと大人のプレーをするというのは、なにも余計なものを持っていなかった子供の時のプレーをいつまでも続けられることなのでしょう
応用的なテニスをするプロ選手の目にもたまに少年少女の目を見る気がします
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